毎日TED

TEDを見ている最中に考えたことを書いています。 本筋から離れることが多いです。

タグ:生き方



人だけでなく、自然界の中にあるものの振る舞いから学びを得ることができる。
水の振る舞いもその一つ。
水がどのように他の生き物や自然と関わっているかを見ることで学べることがある。
そこには自然の法則によって決められた動きを淡々とこなす姿が見られる。
利己的な意思が介在せず、自然の摂理に身を任せた行動がいかに合理的か。
人が時に苦しむのはそうした自然の摂理に逆らった行動をしているからかもしれない。
自然の摂理に逆らう原因は、利己的な考えにとらわれてしまうからかもしれない。
自分のための行動ではなく、自然の声に耳を傾けることで本当にやるべきことが見えてくるのかもしれない。
それが見えた時、多くの苦しみから開放されるのかもしれない。 




過去の物を、その背景と共に誰かに譲るという行為を通じて、ポジティブに老年期を送れていると言う話。

人類の歴史は先人たちが学んだ知識を次の世代に引き継ぎながら作られてきた。
先人たちの知見をベースとすることでさらに知見を深めることができた。
知見を次の世代に引き継ぐと言うことは、次の世代の発展に大きく寄与すること。
だから人は次の世代に知識を伝えることで達成感を得ることができるのだと思う。 




あえて定住せず、各地を渡り歩きながら生活する人たちについての話。

多くの人は自分のねぐらとしての家を持っている。
人以外でも自分たちのねぐらを作る生き物もいる。
決められた住処を持つことで安心を得ることができる。

特定の家を持たない生活はどのようなものか。
たまにキャンプなどで野外で寝ることは楽しい経験だ。
しかし、それは自分の家がある前提で、たまに過ごす分には良いだけである。
もし、常に野外でのテント暮らしだとしたら不安しかない。
それはいつ他の生物に襲われるかもしれないという危険に対する不安でもあるし、
災害や天気などの自然に対する不安でもある。
ただ、常に不安と隣り合わせだからこそ、毎日の些細なことにでも喜びを見出せるのかもしれない。
それは安心して暮らせる家を持つ人には得ることができない喜びだと思う。

あえて定住しない生活を選ぶ人たちは、そうした喜びを見つけるためにその生活を選んでいるのかもしれない。 



人が死ぬときに後悔することは自身の人生における時間の使い方に関してであることを引き合いにし、それらを取り除くためにゲーム化による活動を提案するというもの。

水の流れによって川ができる。
川の形は自然の影響を受ける。
人の人生も川のようにして作られると思う。
水の流れは日々の生活だ。
日々の生活は自身の環境に影響を受ける。
それは水の流れにとっての地形のようなもの。
漫然と生きていたら周囲の環境によって生き方は形成されてしまう。
その生き方に不満がないのならばよいが、往往にして、流されて生きてしまうと後で後悔すると思う。
人は治水技術を使って川の流れをコントロールし、必要な場所に水を引き、流量をコントロールした。
自分の人生も治水のように適切な介入をしなければ望むような形にはならない。
人生を変えるためにはゲームの手法を取り入れることで楽しみながら変えられるかもしれない。
ゲームのように、どのような行動をすればポイントが上がるのか、あるいは下がるのかを明確にする。
そうすることでポイントが上がるアクティビティを意識的に行い、
下がるアクティビティを避けることができる。
漫然と生きているとアクティビティの良い悪いに気づくことができなくなるだろう。
ゲーム化とは人生における複雑な行動をシンプルにし、わかりやすくすることかもしれない。
シンプルでわかりやすくすることで、人は自身が望むような人生をデザインできるようになるのかもしれない。 



動物たちは、シンプルルな生存ルールをもつことで、様々な環境の変化に適応し、生き延びてきたという話。

世の中は様々な要素が絡み合って構成されている。
そのため未来がどうなるかは誰にも予想できない。
予想できない未来で生き残るためにはどうすればよいか。
どのような状況でも生き延びるためのアルゴリズムをもつことが大切だ。
想定外の状況に陥っても思考停止にならず、その状況に合った生き方を見つけ出す。
そのためには、その判断のアルゴリズムが複雑であってはいけない。
複雑すぎると想定できない未来にあった生存方法がみつけられないかもしれないからだ。
シンプルなルールであればどんな状況にも適応できる。
そうしたどんな状況にも適応できる考え方が必要だ。
予測できない未来を生き残るために人間もどんな状況にも応用できる考え方を1人1人が身につけなければいけないと思う。 

↑このページのトップヘ