毎日TED

TEDを見ている最中に考えたことを書いています。 本筋から離れることが多いです。

タグ:人生観



多くの人たちに受け入れられている英雄譚は同じようなプロットを辿っている。
それは人生をデフォルメしたものである。
だから多くの人たちに受け入れられているという話。

面白いと感じる物語は常に平坦な話ではない。
困難に打ち当たりそれを乗り越え成長する。
そうした物語に人は惹かれる。
それは自分自身の人生もそうありたいと願うからだと思う。 



自分の本当の性格や嗜好を職場で隠すよりもさらけ出した方が良い場合がある、という話。

本来の自分を隠すためにはそのためのエネルギーが必要になる。
まず、そこで本来発揮できるはずのエネルギーを浪費している。
次に、何かを隠そうとすることで本来隠す必要がない部分まで隠しているかもしれない。
本心を言うことを隠すあまり、言うべきことまで隠しているかもしれない。
それは、組織の中で目立たず無難に生きるのならば良いのかもしれない。
しかし、本当の自分の力を発揮したい場合は障害になる。
何より本当の自分の個性を発揮し、それが仕事に生かせるならば充実感を味わえるだろう。
多くの人が仕事にストレスを抱える理由の一つとして、自分がやりたいことができないことがあると思う。
もちろん、全てをさらけ出して良いわけではない。
時と場合と状況によってはネガティブなインパクトを与えることになるかもしれない。
そうしたリスクを踏まえた上で自分の姿をさらけ出して仕事だけでなく生きていけたら良いと思う。 



人は社会的な成功と、内面の清廉さの2つを求めて生きている。
その2つのバランスをどう取るかという話。

社会的な成功は相対的なものだ。
例えば、誰もいない世界で生きるとすると社会的な成功の価値はなくなる。
その世界で目指すことは内面の清廉さだけだ。
人と関わるから社会的な成功が欲しくなる。
それは他の人よりも優位な立場につきたいということ。
その感情は自分の遺伝子を残したいという欲求に起因しているのかもしれない。
自分の遺伝子を残す、という目的を失うことで社会的な成功に対する興味は薄れるかもしれない。
そうすることで、内面の清廉さを追求することができるのかもしれない。 



友人の死を通じて、死ぬ前にやりたいことを考えるようになったスピーカーが、ストリートにそれを書くためのボードを設置したことによって他の人にも同じことを考える機会を与えたという話。

死は誰にでも訪れるものではあるけれど、多くの人は自分の死について普段考えることはない。
それは、普段の行動についても自分がいつ死ぬかを考慮せずに決めていることも意味している。
しかし、もし、自分の死ぬ日があとわずかだとしたらどうなるか。
おそらく、行動内容は大きく異なるだろう。
人によっては自分の快楽のためだけに行動するかもしれない。
人によっては大切な人との時間を過ごすために使うかもしれない。
人によっては残された人のためにできることをするかもしれない。
自分の死の直前までに行いたいことが自分にとって大切な行動なのだと思う。
死ぬ前にやりたいことを考えることは、そうした自分にとって何が大切かを考える機会でもあると思う。
もし、自分にとって何が大切なのかに気づけたらどうなるか。
例え、自分の死がかなり先のことであったとしても、その大切なことのために使う時間は増えるかもしれない。
自分にとって大切なことを死の直前にまとめてするのではなく、いまのうちから少しずつでも時間を割くべきだろう。
そのためにも、自分が死ぬ前にやりたいことについては自問自答しておくべきだと思う。 



ガンを経験したことで人生に対する考え方が変わったという話。

もしも自分の余命が後わずかであると宣告されたらどうなるか。
経験したことはないので想像にはなるが、残りの時間の使い方は大きく変わると思う。
いま、大きな変化のない毎日を過ごしているのは、自分の人生が後どれだけあるかを認識していないためだ。
正確にはまだ多くの時間が残っていると考えているからだ。
多くの時間が残っているならば、無為に過ごしたとしても気にならない。
むしろ、多すぎる時間を走りきるために無理をしないよう、省エネな時間の過ごし方をしているかもしれない。
死というものは確実にくるものではあるが、健康な時はそれが訪れることをリアルに想像できない。
だから無限にあるかのような錯覚に陥ってしまう。
有限であることを実感したとき、残りの時間に対する価値感が変わる。
残された時間を有意義に使いたいと考える。
そのために自分にとって何が大事なことかを考える。
普段考えないそうしたことを考える機会になるから、自分にとっての終わりの時間を可視化するとよいかもしれない。
自分の国の同じ性別の平均寿命といまの年齢から、残りの人生の時間を見積もることができる。
あるいは、会社員であれば定年の連嶺といまの年齢から、残りの会社員人生の時間んを見積もることができる。
その時間が毎日減ることをみているだけでも有限である人生の時間を意識することになるだろう。
まずはその時間を意識し、そして自分にとって何が大事か、どのように残りの時間を使いたいのかを考えたい。 

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