自分の声の聞こえ方が実際に話している時と録音した場合に異なっている理由について様々な側面から説明している話。

この話の中で一番印象的だったことは、自分が話している内容はすでに自分が知っているものだからその内容を処理するのにエネルギーを使う必要はない、という箇所だった。
確かに、人が話している内容を聞いて理解するためにはある程度のエネルギーが必要だ。
とはいえ、新しい情報をインプットとして受け取って内容を理解するわけだから必要なコストだと思う。
しかし、自分が話している内容はすでに自分自身が理解している内容である。
すでに分かっている内容を処理するためにコストをかけることは無駄だ。
外部からの音声と自分が話している音声の処理方法は分けるべきだろう。

思い返してみると外向けと内向けでエネルギー消費を抑えるために振る舞いを分けるということは様々な場面でみられる。
例えば女性が外に出るときには化粧をするけれどずっと家にいる場合に化粧をしないことも同じ例だろう。
化粧をすることにはコストがかかる。
外の人に会う場合は自分の見かけをよくしたいからコストをかけてでも化粧をする。
しかし、家から外にでない場合は見かけをよくする必要がない。
だから余計なコストをかけないために化粧はしない、という判断のもとの違いだろう。

得られる成果と照らし合わせてコストに見合わない場合はその行動を行わないことは、社会的な行動だけでなく人間の肉体に本来備わっていた機構にもあてはまるということだろう。

コスパを意識することは大事だと改めて思った。