子供から初めてどうやって赤ちゃんは生まれるかの話を聞かれたときの対応の話。

幼い子供への性教育は多くの大人が敬遠する。
放っておいても勝手に覚えることは自分もそうだったから知っているはずだ。
いずれ知るならいつ話ても良いはず。
なぜ、その話を避けようとするのか。

1番の理由は精神面でのケアだ。
どのようにして子供が生まれるかの話を聞いたとき多くの子供はショックを受けるだろう。
自分もそうだった。
しかし、いずれは通る道である。
幼いうちに知ることと大きくなってから知ることで違いはそんなにない気がする。
ただ、言い方によってショックの大きさも変わるだろう。
多くの大人はうまく説明する自信がないから責任を避けているだけなのかもしれない。

後は親子の場合、話が生々しくなることも問題かもしれない。
他人同士で話す場合は生殖的な意味合いというよりは快楽的な意味合いで話すことができる。
しかし、親子の場合、親の行為が子供の存在を作ったわけだから、親の性交渉を想像することになる。
自分が生まれるに至った行為を想像することは耐え難いかもしれない。
また親にとっても自分の性行為と子供の存在をつなげるのはキツいかもしれない。

性交渉についいては快楽的観点と生殖的観点で語るときの重みが違うと思う。
生殖的観点での性行為にはどこかタブー的な雰囲気が漂う。
それは気軽に行うものではない、という本能的なメッセージなのかもしれない。