毎日TED

TEDを見ている最中に考えたことを書いています。 本筋から離れることが多いです。

2021年01月


売れっ子の脚本家でありドラマプロデューサーであるションダ・ライムズが、忙しい生活の中で、どんなことでもYESと答えるようにしたことで見つけた世界の話。

何かをやらない理由を突き詰めた場合、難しそうor面倒そうだから、が多いと思う。
これは人の本能的な部分で未知のものに対する恐怖心があるためのような気がする。
実はやってみると思ったより簡単だったりすることが多い。
経験せずに恐怖から避けてばかりいると新しいものを手に入れる機会を失ってしまう。
自分の視野を広げるためには恐怖を感じたとしても新しいことに挑戦するべきだろう。
むしろ恐怖を感じるものほど挑戦した方が得られるリターンも大きいかもしれない。

新しい領域で、やりたくない、、と思うことがあった場合はこのことを思い出すようにしたい。



作家であるアン・ラモットが自身の人生で学んだことについて語るという内容。
12個あり、一言で済ませるものから自身の人生から得られた洞察をユーモアを交えながら話していた。

この中で最も考えさせられた言葉は「人生における全ての真実はパラドックスである」だった。
人生には良いこともあれば悪いこともある。
常に良いことばかりが続くと、それを良いことだと感じられなくなってしまう。
美味しいものばかり食べていたら、それを美味しいと感じられなくなるのもそうだろう。
幸せを感じるためには、時に、不幸を感じることも必要なのかもしれない。
一杯の水を飲むことで得られる喜びは、普通の生活を送っている人たちには気づくことができないだろう。
しかし、砂漠の中、一滴の水も飲めずに数日過ごした後に飲むいっぱいの水はあらゆるものを凌駕する喜びを得られるだろう。
そうした至上の幸福は、死に近い苦しみを経験しなければ得ることはできない。
幸せを感じようと思えば簡単なはずなのに、そこにある幸せを見ようとしないから、人は不幸になるのではないかと思う。



退屈であることが新しいアイディアを生み出すという話。

日々の仕事ややることが忙しいと思考停止に陥ると思う。
自分自身がそううだった。
かつて目の前の仕事に追われていた頃、自分の姿を冷静に省みることができなかった。
仕事が終わるともう仕事のことは考えたくなくなる。
だから目を背ける。
そのまま仕事が始まるとまた目の前の仕事に没頭する。
いかに自分が非効率であるか、今の状態を変えるには何をするべきなのか、目の前の仕事を片付けることが優先事項になるとそういったことが考えられなくなる。
そんな状況から解放され、現実を客観的に見ることができるようになった今、周囲の人たちがいかに非効率に動いているかがわかる。
彼らがそのような行動をとってしまう原因は自分と同じなのかもしれない。
改善の提案を促してもなかなか耳を貸してくれない。
目の前のことを片付けることで精一杯で未来のことを考える余裕がないのかもしれない。
では、どうすれば良いのか。
余裕を作るしかない気がする。
忙しい状態はある種、麻薬か中毒に犯されているような状態であり、この状態では冷静な判断はできないような気がする。
忙しい人に何をいっても徒労に終わるだけかもしれない。




JOY=喜びという感情の正体は何者か、そして、それはどのようにしてわき起こるものなのか、といいう話。

喜びと幸せは似たようなイメージがあるけれど意味合い的には異なっている。
幸せは長期間続くものであるのに対し、喜びは一時的に感じるものであるということだ。
また、人は幸せを常に追い求めるのに対し、喜びに関しては無頓着のように見える、という指摘は頷くものがあった。
そんな喜びを人はどんな時に感じるか。
スピーカーが指摘したものは、視覚的なものでいうと、カラフルな色彩と、丸い形状だった。
確かに無機質な色とカラフルな色を比較すると、カラフルな方が楽しい感覚を呼び起こす。
尖った形状には警戒心を抱かせられるが、丸い形状であれば安心感を抱く。
安心感は喜びに近い感覚を想起させる。
これは普遍的なものであり、多いに越したことはないと思う。
そうであるならば、簡単に喜びを感じさせるこうした色彩や形状が世の中にもっと溢れても良いと思う。
しかし、、世の中全てがこうしたものに囲まれたらどうだろうか。
それが当たり前になると喜びは薄れるものかもしれない。
カラフルな建物も無機質な建物の中にあるから際立ち、それを見つけた時に喜びを感じさせるのかもしれない。
全てがカラフルな建物になると、それが当たり前になってしまい、喜びは見つけられなくなるかもしれない。
多ければ良いわけではなく、無機質があって初めてカラフルが際立つのかもしれない。



絵柄というものはシンプルに情報を伝える言語のようなものだという話。

現代文明を生きている人は絵柄を見ただけで何を伝えようとしているかがわかる。
それは生活をする中で繰り返し使われてきたことで形と意味が文字のように認識されたからだ。
おそらく、例えば、1000年前の人にトイレのマークを見せても理解はしてくれないだろう。
同じ状況下で生活しているとこうした共通認識が特別な教育を行わなくてもそれぞれの頭にインストールされる。
そうしたインストールされているであろう情報を活用することで、少ない情報量で様々な表現が可能になる。
その絵柄を見たときに多くの人が感じるであろう意味づけをできたとき、デザイナーは勝利を得ることができる。
では、どうすればそうした絵柄を表現できるか。
絵柄に抱くイメージは全ての人にとってバラバラではない。
一定の法則がある。
だから今日つ認識を得られるはずだ。
その一定の法則とは何か。
それすらも普通の生活を送れば誰もが通ると思われる道から作られているのだろう。
日々の生活に洞察を欠かさないように生きると良いかもしれない。

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