悪性の癌を患い死の淵に立たされたスピーカーが臨死体験をし、そこで悟ったことについての話。
この話で印象深かったことは臨死体験の中で悟ったことの例として、手の届くところにあるのに光を当てないから気づかなかったものに気づいた、という話だった。
認識というものはその人が経験したものによって得られるものだと思っている。
例えば、会社員であっても、一般の社員の場合の物の見方や考え方と、管理職になった場合とでは異なってくる。
それは与えられた環境によって意識しなければならない部分が変わってくるからだ。
立場が変わることで今まで見えていなかった部分が見えるようになるのだと思う。
これは同じ環境における人間関係が変わった場合の例だ。
別の例としては、例えば生活する地域が変わった場合も物の見方は変わる。
東京で働いている場合と地方で働いている場合では見方が変わってくる。
海外のように文化が違う土地であればさらに異なるだろう。
立場や環境が変わることで、自分が意識を向ける場所が変わるから、今まで見えなかったものに気付けるのだと思う。
臨死体験についてはとてもレアな経験だと思う。
人は誰しも死を恐れる。
恐れるから死について考えないようにしている。
そうすることで死の周辺にあるものに光を当てる事も自然と避けてしまっている気がする。
死に対して恐れをなくし受け入れて正面から向き合う事で新しい何かに光を当てることができるだろう。
そうすることで、これまで得られなかった悟りを得られるのかもしれない。
臨死体験に限らず、人は自分が嫌なことには目をそむけてしまう。
そうすることで嫌なことの周りにある大事なことにも光を当てられずにいるかもしれない。
自分が成長したいと思うのならば嫌なことや避けたいことに向き合う必要があると思う。